まろ鉄広報課

「川越市たかまろう鉄道」のブログです。

難病患者が引っ越しをした話。② ~実際に引っ越してみた~

(前記事の続きです:難病患者が引っ越しをした話。① ~前提知識みたいなこと~ - まろ鉄広報課

 

 

Chap.2 引っ越し日記。

一人暮らし決定

 大学4年の冬は暇だった。

 

 こんな事を言うと真面目に大学に通っている方々にボコボコにされてしまいそうだが、実際私の大学4年の1年間は暇そのものであった。卒業に必要な単位をほぼ揃えていたので出席しなければいけない講義は無く、卒業論文の代わりとして設定されている輪講*1も週1回しかなくその準備も毎週数時間程度で済むため、時間は余るほどあった。流石に大学に週1回しか行かないというのももったいないので、空き時間を利用して他学科の講義に潜ったり友人と遊んだりして最後の1年を楽しんでいた。

 猫と触れ合うのも勉強です

 

 就職は6月下旬に決まった。内定先は都内。社宅も用意しているとのことで、私は実家暮らしと社宅で一人暮らしの二択で揺れていた。内定先は実家から2時間かかるということもありできれば社宅で一人暮らしをしたかったが、親との話し合いが上手く行かず気付くと季節は冬になっていた。

 1月、ここがチャンスだと言わんばかりに酔った父親と家事をする母親に私はリビングで最後の説得を試みた。タイミングが良かった。父親の鶴の一言により説得は無事成功。3月末から一人暮らしをすることが決まった。

 

 さて、そんなこんなで決まった私の一人暮らし。4月から勤務する会社に社宅を利用する旨を伝えるとすぐ新居の住所が送られてきた。新しい住所は江戸川区。小さい頃からの夢であった「東京23区か京急沿線に住む」という夢が果たされ*2、興奮で沸き立っていた。これから面倒な手続きの山に苦しむことになるとも知らずに……。

 

とりあえず住民票を移さないと始まらない

 免許証や銀行口座の住所変更、特定医療費の受給申請……、何をするにもとりあえず身分証明書がないとどうしようもない。次の通院は3月に決まっており、その時までには新しい住所でいろいろな手続を済ませておきたいと思い、転居日を3月1日にして手続きをすることに決めた。

 2月28日、川越市役所へ向かう。転出届を記入し、本人確認書類として数ヶ月前に発行していたマイナンバーカードを差し出すと、慣れた手付きで職員の方が処理をし数分ほどで手続きは終わった。事前に調べた内容では転出証明書が交付されるとのことであったがそのようなものは貰えなかったので聞いてみると、マイナンバーカードで手続きをする場合は特例で転出証明書を省略できるのだそう。早くもマイナンバーカードの恩恵を受け感動したのは言うまでもない。

 

書類記入祭り

 転出手続きが終わりといよいよ新住所での手続きが始まる。3月2日、物心ついたときから住んでいた川越を離れ、交通費を抑えるために「都営まるごときっぷ*3」を購入し江戸川区へ向かう。はじめに区の支所で転入手続きを行う。転入届を記入し、本人確認書類やマイナンバーカードとともに窓口に提出するとこちらも慣れた手付きで処理が行われ、時にマイナンバーカードの暗証番号を要求されながらも数十分程度で転入から年金関係の手続きまでが終わった。

 次に区の健康サポートセンター*4に向かい、特定疾患医療費助成制度*5の申請を行う。私は既に埼玉県でこの制度の対象であったが、住民票を移してしまったため東京都でも継続して給付が受けられるようにするための手続きをしなければならない。窓口へ案内され、「特定医療費支給認定申請書」やら「個人番号に係る調書」やら数枚にわたる書類を記入させられ、つい数十分前に発行した住民票や前住所で出した非課税証明書、マイナンバーカードなどの提出を求められた。やはりこのような手続きを行うことは少ないのか、職員の方の手際はお世辞にも良いとは言えず、何度もどこかへ手続きの確認であろう電話をしていた。結局3,40分くらいかかりようやく申請が完了した。認定が下りるまで3ヶ月はかかるのでそれまでは自費で建て替えをしなければならないらしい。建て替えとはいえ学生の身分で多額の出費をしなければならないという事実に震え上がったのは言うまでもない。

 続いて区の福祉手当の申請を行おうとしたところ、「それはここでは出来なくて区役所の本庁舎行っていただかないと」とのことでまた場所を移動しなくてはならなくなった。「そんなこと区のサイトに書いてなかったじゃん……」と文句を言いたくなる気持ちを抑え、電車とバスを乗り継ぎ区役所へ向かうことにした。

 気を取り直し区役所本庁舎で区の福祉手当*6の申請を行う。こちらでまた新たに申請書を記入し、先程記入した特定医療費支給認定申請書の控えやマイナンバーカードを提出し手続きは完了。こちらも先述の特定疾患医療費助成制度の認定が下りるまで支給はできないとのことで、しばらくは自分の財布から高額の医療費を支払う羽目になることが確定してしまった。ご想像の通り、これが後に私の財政状況に大ダメージを与えるのであった。

 

病院を変える

 通院先を変えるというのはそこそこ面倒である。私はまず新居周辺の病院を探すところから始めた。私の場合は膠原病というあまり取り扱ってくれる医療機関が少ないジャンルの病気であり、また前章で説明したとおり医療費の支援を受ける条件として通院先の縛りがあるため、逆に選択肢が少なくすんなりと決定することができた。

 転院先が決まると次にしなければならないのが紹介状の作成依頼である。「紹介状」とは何かというと、医師が他の医師に患者を紹介するために発行される書類のことを言う。内容としては、患者の基本情報(氏名や生年月日、性別など)や紹介状の作成目的(検査依頼、転居に伴う転院など)、これまでの病歴や治療経過などが記されており、これをもとに紹介先での治療が開始される。基本的に指定医療機関となるような大きな病院は、地域のクリニックのようにふらっと訪問して診察が受けられるケースは稀であり、もし診察が受けられても診察料とは別に特別料金(保険外併用療養費)を支払わなければならないため、紹介状を作ってもらうことが重要となる。

 3月13日、埼玉での最後の通院の日に主治医に紹介状の作成を依頼した。1週間ほどで作成が終わるとのことなので紹介状は後日取りに来ることにし、電話で転院先の病院での診察予約を取る。これがなかなか繋がらない。大手の電話会社もそうだが、なぜこの世の中で電話に凝るのだろう。結局3日ほどチャレンジしてなんとか予約を取り付けた。

 

薬代

 埼玉での最後の通院を終え、いつもどおり薬局へ向かう。1日あたりの処方量が多く、通院間隔も長いため、私が毎回処方される薬の量は膨大である。当然のことながら量が多い分受け渡しまで時間がかかるので、通院後用事のあった私は処方箋を渡しておき後日取りに来ることにした。

 薬局を出て1時間ほどすると知らない番号から電話がかかってきた。検索をしてみると薬局の番号であったのですぐに折り返し電話を掛ける。何か私の不手際でもあったのだろうか。申し訳ないなぁと思いつつ電話口のお姉さんの話を聞く。

 

 「代金なんですけど…59,920円になりますのでご準備いただければと思います。」

 

 思わず電話口で笑ってしまう私。曰く請求が高額になってしまったので機転を利かせ予め伝えてくれたそう。ここで「認定が降りるまで医療費建て替え」という制度が牙をむく。いや笑ってる場合じゃないんだよな、ただでさえ引越しで資金が減っているのにそんな金額をぽんと出せるわけがない。仕方なく母親に泣きつき薬代を出してもらうことに。新生活早々親から6万の借金、これから私はどうなってしまうのだろう。逃れようのない不安に包まれたのは言うまでもない。

 

(続き:難病患者が引っ越しをした話。③ ~コロナvs書類vs俺~ - まろ鉄広報課

*1:選んだテキストの内容を予め読んでおき、板書を交え指導教員の前で説明していくというもの。説明中に指導教員やゼミメンバーが指摘や質問などをし、それに答えることでテキストの理解を深める。多くの数学科でこの形式が取られている……はず。

*2:小学校の課題だった「二十歳の自分への手紙」みたいなものに書いた記憶がある。成人式で渡すと言われたのに私は陰キャ仕草で欠席したのでそのまま行方不明に。

*3:都営地下鉄都営地下鉄、都バス(多摩地域を含む。)、都電荒川線日暮里・舎人ライナーが利用できる1日券。

*4:江戸川区が管轄する、保健福祉関係の業務を行っている施設。

*5:参考:https://marotetsu-koho.hatenablog.com/entry/2020/06/28/220549

*6:参考:https://marotetsu-koho.hatenablog.com/entry/2020/06/28/220549