まろ鉄広報課

「川越市たかまろう鉄道」のブログです。

難病患者が引っ越しをした話。③ ~コロナvs書類vs俺~

(前記事の続きです:難病患者が引っ越しをした話。② ~実際に引っ越してみた~ - まろ鉄広報課

 

 

コロナが流行りだした

会社が始まる前に新しい病院に行っておこうと思い、3月25日に通院をした。この頃世間では新型コロナウイルスへの警戒感が一層増しており、マスクが必須アイテムのような世界になっていた。同日に開催予定であったまふまふの東京ドームワンマンライブもイベント自粛要請などにより中止になり、世間がピリピリしていたのもあって正直通院も怖いなぁと思いつつ、それでも薬が無ければ私は死んでしまうので仕方なくフル装備で東京へ向かった。

入館時のアルコール消毒や体温測定なんてものはまだ一般に浸透していない時期であり、院内は今ほど厳重な感染対策を行っていなかった。新しく主治医になっていただく先生に、前の病院から頂いた紹介状や今までの病歴がわかるよう診断書類などをファイリングしたもの、お薬手帳などを渡し、簡単に自己紹介を行いその日は通院が終わった。まだ認定が降りていないので当然通院費は自己負担(建て替え)であった。

 

卒業式は微妙になり社会人生活は始まらない

3月26日、本来であれば卒業式(学位記授与式)が行われる日であったが、こちらも社会情勢を鑑みオンラインでの開催になってしまった。学位記の授与は、時間を定められ同時間に大人数が集まらないような形で手渡しする形式に変更された。結局大学構内で卒業生らが溜まっていたのであまり「三密」の回避はできていなかったように感じたが……。

 

 マスク非着用という今ならぶっ叩かれる格好

 

同時期に会社の研修も開始された。社内でマスク着用とアルコール消毒が徹底され、それまでの生活から見るとなかなか異様な雰囲気での進行となった。なにはともあれ、これで4月から社会人としての生活がやっと始まるものだと思っていた。

ある日、いつものように各部署のお偉いさんの話を延々と聞き、退社時間になったかと思うと新卒担当の方が登場し、こう言った。

 

「とりあえず新卒の方は明日からの研修は中止で、1週間自宅待機をお願いします」

 

新型コロナウイルスの影響で入社後の研修予定が白紙になってしまったらしい。まぁ1週間だけならいい休みだなと楽観していたが、その後も予定は複数回変更され、結果的に約2ヶ月間ロクな研修を受けられず自宅待機となってしまった。

 

コロナでも行政は休まない

4月になり社会人になった関係で私の健康保険も親の扶養下から自分の会社のものに変更されるので、再度健康サポートセンターに出向き、特定疾患医療費助成制度の申請*1を行うことになった。相変わらずマイナー手続きのため時間はかかったもののなんとか手続きを終えた。

コロナの影響で会社が休みになってしまったことで平日日中が自由に使え、このような手続きが難なく行えるのは不幸中の幸いなのかもしれない。つくづくこういうどうしようもない運だけはいいのだと気付かされる私であった。

 

不要不急でない外出

5月13日、新しい病院への2度目の通院。3月1日に申請した医療費助成は未だに認可が降りないため、この回も通院費と薬代は全額自己負担(建て替え)。社会人1年目の私の財布から67,760円が飛んでいった。嗚呼無念。

5月14日、まさかの通院翌日という微妙なタイミングで都から受給者証が届いた。受給者証とともに同封されていたのは口座振替依頼書*2申請者自身で医療機関に通院などの負担額を文書で証明してもらい、その情報を以って今まで建て替えていた分を返金するというシステムらしい。私は3月だけであわせて3つの医療機関(埼玉の病院と薬局、東京の病院)を訪れているので、計3枚の文書をそれぞれ依頼し記入してもらわなければならない。

このとき世間は緊急事態宣言発令中ということもあり、「都県をまたいだ移動を控えろ」「不要不急の外出をするな」の大合唱。更に私は基礎疾患持ちということもあり、出来ることなら文書ごときのために埼玉まで出るような真似はしたくなかったが、文書がないことには計14万近くの医療費が返ってこないのでやむなく埼玉へ向かうことになった。

 

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大変なことになってしまったなぁと無力さを感じたのももう数ヶ月前

 

病院行脚

5月15日、文書を依頼するために埼玉の病院と薬局に向かう。緊急事態宣言下の街はどこも人が少なく、平日の昼間とは思えない異様な光景だった記憶がある。

病院に着き、窓口で文書を依頼する。文書記入ぐらいだったら数時間もかからないだろうと考えていたがこれが大誤算。窓口の方曰く、2週間程度かかるので再度来院してほしいとのことだった。こんなご時世で2回も埼玉に来たくなかったので、費用は出すから郵送してくれないかと粘ってみたもののそのような取り扱いは行ってないの一点張り。仕方なく後日また来院することになった。

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このマスを埋めてもらうために2週間。病院って大変なんだなぁ

 

5月29日、依頼した文書をすべて受け取り私自身の患者情報や口座情報を記入し、都の担当課へと郵送した。結局この手続で請求した医療費が返ってきたのは7月14日。通院日から数えて実に4ヶ月近くかかったこととなる。幸いにも会社がコロナの影響で休みになっていたこともあり、平日を駆使して最速で手続きを行ったがそれでもこれだけの日数がかかってしまうので、況や普通に社会人生活を送っている人間にはかなり厳しいのではないかと考えてしまった。

 

おわりに

初めての引っ越しとそれに伴う様々な書類手続きを経て、何が最適解だったのだろうと未だに考えている。諸事情で現住居からは追い出されるので来年にはまたどこかに引っ越さなければならず、その際にも又同じような手続きを踏まなければならないからだ。幸いにして平日休みが与えられている職業ではあるため幾分か他人よりはイージーモードであるとはいえ、やはり休みの日を使ってやらねばならないことであるから少しでも最適化して自分の時間を確保したいというのがある。

さて、今回私が経験した一連の手続きから大切だと感じたことを以下に列挙してみた。

 

①とりあえず電話で伺いを立てろ

びっくりするほど医療福祉絡みのことは情報量が少なく、キーワードを知っていないとその情報にすらたどり着けないなんてことが多々ある。私もこの一連の手続きにおいて「これどこで手続きできるの?」「何が必要なの?」「そんな事書いてなかったじゃん」となる場面が幾度かあった。書類不足などで窓口で追い返されたり、時間や交通費を無駄にしたりする前に、まず担当課へ電話して必要なものや手続きできる場所、おおよその所要時間などを確認することを強く推奨する。役所の方々は聞かれれば親切に答えてくださるケースが大半なので、迷惑などどと思わずにどんどん電話してほしい。良識の範囲内で。

 

②何事も計画的に

今回の私のケースが特殊といえばそれはそうなのだが、埼玉の病院での転院手続きが転居に間に合わなかったために、東京と埼玉を数回行き来する羽目になってしまった。このような本来不要な面倒事を回避するためにも、転居数ヶ月前から通院や転居、手続きのスケジュールをうまくまとめておくことが重要であると考えている。住所変更一つとっても役所から警察署までうまくスケジューリングすればそこまで時間もかからず終わるので、ぜひ綿密な計画を立てて転居に挑んでほしい。

 

③資金は十分に持っておこう

今回の一連の流れで一番苦労したのが資金面であった。私は先述の通り薬代が馬鹿にならないこともあり、医療費助成がなくなると途端に高額の請求が飛んでくる。今回の引っ越しでも3月はバイトでの収入が8万ほどであったのに対し、医療費支出は69,720円と全く一人では暮らせないような経済状況に陥ってしまった。こういうときに必要になってくるのが自身の資金力である。最後には払った分の幾らかは返ってくるとはいえ助成の認定は2ヶ月、医療費の返還はおおよそ4ヶ月はかかり、その間は自分でなんとかやっていかなければならないからだ。ただでさえ転居は費用のかかるイベントであり、厳しいのは痛いほどわかるが、私達難病患者は一般の人より更に資金に余裕を持って転居に挑むべきであろう。

 

最後に、今回の転居でお世話になったサイトをいくつか列挙させてもらったので、参考にしていただければと思う(難病患者が引っ越しをした話。① ~前提知識みたいなこと~ - まろ鉄広報課)。この記事が誰かの生活の助けになれば幸いである。

*1:正確には記載事項変更。制度上、健康保険加入者の世帯年収で自己負担額が決定されるのでこの手続をすぐさま行わないと大損をこく。

*2:https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/josei/tukaikata/s_nanbyo.html