まろ鉄広報課

「川越市たかまろう鉄道」のブログです。

隣の芝生は青い

こんばんは。たかまろです。しばらく更新が止まりましたが元気です。一応。

 

最近何故かGoogleからこのブログへいらっしゃる方が多いようです。何で引っ掛けてくるのでしょうかね。とても気になります。しかし何か知見を得たいという方には申し訳ないのですが、私は60点得単の方法くらいしかレクチャーできないと思います。ちなみに60点得単の仕方は簡単です。講義に出ましょう。まぁそれでも落ちるときは落ちるのですが。

 

 

さて、今回はバカが泣き言を晒します。

 

私も就活をしなければいけない時期に入ってしまいました。というか、現時点で何もやってないってそこそこなヤバさなんですよね。一応合同説明会みたいなのは行きますけど。


f:id:tkmrmaron:20181116234020j:image

鬼のように届く就活関連の郵便物の上にメイク道具やウィッグが散乱する我が机。これだから…

 

大学生協や就活サイトからは毎週大量の就活関連の郵便物やメールが届きます。自室には郵便物が積み上がり、メールボックスは就活武器商人たちからの説明会やインターンシップ、企業紹介のメールばかり。志望ゼミの教授からのメールを探すのにも一苦労でした。

そんな時期に入ってしまった私ですが、ここまで来てあえてバカを晒すような真似をさせてもらうと。

 

ぶっちゃけ就職なんて考えていなかった。

 

もちろん、憲法で「勤労の義務」が掲げられている我が国に生きている以上、働かないで周りからのの貢ぎだけで生きていこうなんてそんな馬鹿な人生設計をしているわけではありませんし、いずれ就職をしないといけないなんて事はわかっていました。

ただ、「こんな就職プランを持っているから○○学部に行こう」なんて考えは一切持ったことがありませんでした。むしろ周りの人間の一定数がこういう考えを持っていることにある種カルチャーショックのようなものを受けました。

少なくとも”大学は勉学をする場である”と純粋無垢な高校生時代は思っていたし、就職に有利になるような大学受験なんて視点はもちろん持ち合わせていないわけです。せっかく好きなものに絞って勉強できるのなら数学を学ぼうくらいの気持ちで私は数学系を志し、狂ったように受験勉強をしていました。そういう意味で私は「就職なんて考えていなかった」わけです。就活なんて視点を持って生きていたらもちろん理学院数学系なんぞ選ぶ訳がないことからも明らかでしょう。

ちなみに、私は「就職を見据えて大学を吟味する」という考えを否定する気は更々ないというのは勘違いしてほしくないと思います。「おでんのつゆが味噌ベース」「醤油の色が薄い」「『うまい、うますぎる』を皆知らない」くらいの文化の違いだと思いますし、それ以上ではないとも思っています。

ただ、この文化の違いはかなり私にはつらかった。4年間まるまるとまでは言わなくてもある程度勉強に回せると思っていたのに、3年後期から就活をいろいろやっていないと手遅れになると入学早々聞いたときはショックでした。”勉学をする場である”と信じていた大学が就職活動に侵攻されるような絶望。結局踏み台なんだという落胆。ワクワクしながらカリブの海賊に乗ってみたら最初の落下がえげつなかったみたいな不意打ちを食らったわけです。

 

こんな意識高い文言を垂れ流しておきながら、結局は大学に入り堕落を極め、私は専攻の数学も満足にできず、卒業のために必死で単位をかき集めるゾンビに変化し、”大学は勉学をする場である”という考えを持った純粋無垢な高校生時代の自分に見向きもできない姿に成り果ててしまいました。”勉強の場”という前提を自分で壊し、大学にいる目的がなくなってしまった。強いて目的を挙げるなら「大卒じゃないと今後墜落日本で生きていけなくなる」という強迫観念くらいでしょうか。

 

単位ゾンビになってしまった私は過去の自分のあまりのお花畑さに頭を抱え、過去の自分のあまりの自信過剰っぷりに呆れました。こんな状況に陥ったとき「就職を見据えて大学を吟味する」という視点が輝いて見えるわけです。「学問の目標を見失っても就職という次の目標への道はあるだろう。」「将来のためなら今の学問も頑張れるだろう。」彼らを見てそう思ってしまうのです。自分より他人の生き様を羨ましく思ってしまう。まさしく隣の芝生は青いという言葉がピッタリでした。しかし、人を羨んでばかりでは自己肯定感が落ちていくだけなのは明白でした。なんとか変えなければ。

 

今は学系での最低限の履修をこなし、興味のある文系科目や他系科目を過剰に履修し卒業への数合わせをしつつ大学生活を送っています。自分も誰かに羨ましがられるような生き様をしなければ、その思いがなんとか私を前向きにさせてくれます。

隣の芝生は青い。しかしお隣さんにしてみれば私もまたお隣さん。味噌ベースのおでんも美味しいし、鰹と昆布の出汁が効いたおでんもまた美味しい。他人を羨む暇があれば、今は自分のベストを尽くさなければ。そういう意気込みでいかないと人間はやっていけないのかもしれない、と思うのです。

 

以上、弱者の戯言でした。有能な人々はこんなバカみたいな大学生ににならないと思うし、もしなりそうになっても私を反面教師にして強く生きてほしいです。バカは私だけで十分です。